悪夢は傷跡に何度も爪を立てなければ気が済まないらしい。夜明けが近づくにつれて、眠りにおちて真っ暗だったはずの意識に、あの日の地獄が何度も蘇る。

あの夜、藤谷守はツレといつもの店で飲んでいた。いつものようにバカ騒ぎをし、店主に罵詈雑言を浴びせながら、しこたま飲んだあと家路について眠りに堕ちる。あそこはたしか慎一の同級生がやっている店だとかで、従弟に連れて行かれて入ったたのが通うようになったきっかけだった。いかにも田舎者が好みそうなこ洒落た内装が鼻についたので、最初は守も愛想で顔を出すていどのものだった。

だけどいつの間にかあそこへ居着くようになったのは、商売の下手そうな店主の薦めで食った穴子の串カツがやたら美味かったことと、守やその取り巻きのような輩が店に出入りし、罵詈雑言、いくら悪態をついても店主は嫌な顔を一つ浮かべない。お人好しが服を着て歩いているような男をこき使っていると、藤谷幸一郎の下で行き場なくたまり続けていく不燃ガスが、すかっと胸から抜けていくようだった。

そしてもう一つ。

しこたま飲んで店を出て家へ向かう帰り道、国道へ抜けるまでの間に這う林道は、まだ守が二輪に跨っていた頃からよく知りぬいた峠コースだった。店はそのそばにあった。人気の少ない三キロの危険道をおよそ三分で疾走り抜ける。距離は短いが、急勾配と急カーブがぎっしり詰まっている。ガキの頃、よくそうやってバイクで遊んだものだ。

その危険な坂道を、今はトラクションコントロールなどの野暮な安全装置を違法に解除したベンツ500SLを操縦し、思いきり疾走するのだ。まるで、走るために生まれてきたV8エンジンの駆動力を思いのたけタイヤに加えてアスファルトの上を滑走し続けるドリフトの快感は、その三分の間だけ、守の脳みそから煩わしい物事の全てを払拭し、彼を完全に白くさせてくれた。

髪を金色に染めた十代の頃から知り抜いている道路だった。だから、ほんの僅かなクラックからマンホールの位置まで、道の隅々まで把握しているはずだっった。少々酒に酔った程度で操縦を誤ることなど、藤谷守――いやさ西田守には今でも考えられないでいる。
 七つ目のコーナーを迎えた時、異変が起きた。

グリップを効かせながらコーナーリングする際、コーナーの終盤にアウトをはらむ現象は、五リッタークラスの排気量を持つの重い車体をした車には常につきものだ。だいいち、車の運転に必要な技術はバイクとは根本的に違う。エンジンブレーキだけではこと足りず、ペダル操作によるブレーキングに頼らざるをえない。

事故が起きた直後、何が起きたのか一瞬では理解できなかった。次に目が覚めたときはベッドの上だったからだ。

突然壁が迫ってくるなり、一瞬で視界が砕け散ったのだった。声も出なかった。飲んだアルコールが強すぎたせいかも知れない。だから操作を誤ったと言われても疑いようもない。あるいは噂されたよう、本当に俺は死にたがっていたのかも知れない。だがあの時、ブレーキペダルがやけに重く感じたことだけは確かだ。ブレーキだけは確かに踏んだ。

ベッドで目を覚ましてからは、まるで借り物の体のようだった。頭蓋の奥にキーンという音と、血の臭いが常に充満してした。やがて灼熱の炎に焼かれるような痛みで夜ごと目が覚める。コンマ数秒の記憶が、体中のありとあらゆる傷跡に容赦なく夜ごと爪を立て続ける。

痛みの他に、鼓膜に響く音、音、音。頭蓋の中に朝まで続くスコールのような音の濁流。

頭が割れそうなほどの耳鳴りの向こうから、誰かが俺の名前を呼んでいる。

守。

藤谷守――?

「起きて、あなた」

「信子か。夢をみていた」

「大丈夫? たいへんな目に遭ったのはわかっているわ。すごい汗」

「すまない。昨夜、死体を見てしまったものだから……」

真横で乳白の柔肌を晒している信子に比べると、自分の体は皮膚がところどころ土くれの様に赤黒く変色し、つぎはぎだらけのまるで藁人形のようだった。側で、信子が守の傷跡に唇を這わせ夫を慰めようとしている。

「お義父さん、本当に亡くなってしまったのね」

「おべんちゃらはいわなくていい。死んで当然の男だったのだ。俺とてその気持ちに違いはない」

「そんな……」

死んだ藤谷幸一郎が西田守に養子縁組の話を持ちかけたのは、ちょうど目が見えなくなる直前に手を出し始めた金融の仕事を安心して任せられる人材を確保したかったからだ。守はまだ高校生のころから佐○組の事務所に出入りし、ノミの電話番をやっていたような男だ。荒くれ者達を飼い慣らす術なら長けている。縁組みで忠誠心を担保し、ついでに守の取り巻きから労働力を確保する。それが銭儲けの権化、藤谷幸一郎の魂胆だった。

一方、守にとっては己の野心を充たすために描いたストーリーを完結させるため、体よく資金源を確保できるのならそれでよかった。お互い情や義理の繋がりなど一切ない者同士の縁組みだ。ただお互いの政略を充たすためだけに結ばれた義理の親子。

だが、狂犬と恐れられた守が死ぬことを望んでいる人間も、この世の中には多くいるはずだ。その点では、守は藤谷幸一郎と同じだった。無力だと他人からそう思われた直後、生きている価値を全て失ってしまう。金や力がなければ、今息をして生きていることすら誰も赦してくれないような存在。

似た者同士の二人だったが、お互い相容れることは決してなかった。ただ、棺の中に納められた幸一郎の眉間を、縦に一筋苦悩の皺が走っていたことばかりが思い出される。

「誰かが殺そうとしたのか、それとも独りでに死んだのか」

「え、あなたはまだ生きているのよ」

側で信子が言った。

今の守には、女房にこう答えるしか他に言葉が思い浮かばない。

「女のお前には真に理解はできないだろう。俺はもう、死んだも同然なんだよ」と――。


――――続く

つづき

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