ある非番の日の午後、有田武雄は警察の制服を脱いだ恰好で細い路地を歩いていた。路地は繁華街の外れにある駅近くの袋小路だった。免許証の住所が正しければ、目当ての相手はこの道の突き当たりにあるマンションに住んでいるに違いない。

「おい、居るのはわかっているぞ。電気のメーターが回っている。素直にでてこい」

「誰だ貴様は」

「俺は貴様の死に神だ。貴様の悪事なら一から百まですべて知り抜いている。いまもこの部屋で女をはべらせ大麻に群がっているのだろう。自慢のマセラティの車中に少し臭いが残っていたぞ。どこで大麻を仕入れているのか、ついでに全て尾行で調べさせてもらった。そして貴様がM医大の医学生であることも調べ済みだ。加えて、貴様の父親がS病院のオーナー院長であることも俺は調べ抜いているぞ。これが世間に知れ渡れば、貴様らは親子ともども全てを失うだろうな」

「まて、まて、何が望みだ」

「ア、ハ、ハ、観念したか。よし、問題を表沙汰にされたくなければ、いつも横に載せている女を、一人俺に差し出すのだ、◇×ホテルの999号室で待っているぞ、なに、かわいがってやるから安心しろ、ついでに、大麻も200グラムほど持参させろよ、おい、粗悪なオレガノなどを混ぜやがったら、ただじゃおかない、わかったか、ア、ハ、ハ、ハ」

またある非番の日の午後。

「おい田口真史。貴様がかつて当たり屋として名を馳せていたことは既に知れている。最近、また活動を始めたそうだな」

「誰だアンタは、なぜそれを見抜いた」

「俺は交通課の警察官だぞ。事故の被害者の中に、この数日、続けざまに貴様の名が連ねられていることは、ついぞ先日から確認済みなのだ」

「ぐ、ぬ、ぬ」

「どうだ、ひとつ、俺と組んで、一儲けしてみないか。貴様が当たり屋の犯行を行った直後、非番の俺が目撃者として姿を現すという手はずだ。警察官である俺が証人となれば、相手はぐうの音も出さずに示談を決意するはずだ。なに、問題にはならぬ。もしも断れば、貴様を今すぐしょっぴいてやっても構わないのだぞ。どうする、フ、フ、フ、フ」

「あんたのような悪党は、ここ最近では、久しぶりにお目にかかる……」

「犯罪者が警官を指さして悪党と呼ぶとは、ちゃんちゃら可笑しいわい。あ、ハ、ハ、ハ、ハ、ハ、ハ」――

有田巡査長が運転するパトカーは、赤いサイレンをまき散らしながら、昼夜を問わずにあたりを徘徊し獲物を物色している。

夜が太陽をビルの谷間へと引きずり降ろし、空が赤く染まっていった。今宵もどこかで誰かがあの月を掻きむしっているに違いなかった。

有田に言わせれば、相方の吉岡巡査部長は、定年間近を迎えてまだなお巡査部長の階級に甘んじており、警察官として違反や犯罪と立ち向かうのに大して意欲的な姿勢を持ち合わせていない男だった。いつもどこかで仕事と割り切っており、犯罪の取り締まりよりも常に家庭の方が優先だった。

早くに出来た孫の餅つき大会に出席するため、他の同僚の予定を犠牲に有給休暇の権利を行使する男だ。ただの人数合わせとして株式会社警察に雇われているにすぎない人間であり、いわば警察組織のパラサイトに他ならなかった。

有田に言わせればこのような存在も犯罪者にほど近く、世間でいえばいわば穀潰し同然の存在だった。

目のたるんだあきらめ顔の初老の男からは、闘争本能など微塵も感じられない。反抗的な違反者に対しても、いつだって風呂でこいた屁のように無気力な対応の仕方だし、善良な市民に対してもそれは変わりない。

犯罪者には私的懲罰を用いてでもぎゃふんと言わさなければ気の済まない有田とは正反対の男で、有田は吉岡巡査部長の顔を見るたび、毎日殴りつけたい衝動を抑えるのに必死にならねばならないのだった。

なにより、ありもしない持病の腰痛をだしに柔道の練習すらボイコットするような腰抜け爺が、取り締まりの際、階級の違いばかりにものを言わせ、有田に対して頭ごなしのものの言い方をする。それが気に入らない。

「腰痛持ちのくせに、まごの餅つき大会だけは出席するのかい。あんたは本当にくずな警察官だ」、

有田巡査長は、助手席で居眠りをしている吉岡巡査部長に語りかけた。相手はいつものように、パトロールへ出かける直前、有田が淹れた睡眠薬入りのコーヒーを飲んで眠っている。

「こうやって、あんたが眠っている間に、俺はいつもあんたの名前を使い、あるところから借金を重ねているのをご存じかい?」

「ぐぅ…、むにゃ」

「アハハ、そうか、そりゃ知らなくて当然だ。正式にいえば、書類だけの借金だ。あんたはこの数十年もの間、ずっと税金泥棒を働いてきた悪党だ。この俺様が、代理人としてその債権を回収する業についてやるよ。さあ今日も、あんたの家族が出かけている内に印鑑を頂戴しに自宅へ伺うことにしよう。そしてあんたは借金にまみれて自殺をしたことにしておくのだ。遺族年金や、恩給から債権を回収するよう仕向けておくよ。貴様の家族はいったいどのような顔をするだろうね。ふ、ふ、ふ」

「ぐぅ…う、むちゃ、う、う、う、う」

「なんだい、寝ていても、悔しいのかい?」

「ぐ、ぐ、ぐぅぅむ、う、う、うふふひひひあへあへ」

「ア、ハ、ハ、ハ、ハ、ハ、ハ」

その時、確かに声がしたのだった。

〝貴様のような人間を見るのも、これ、結構、久しぶりのことだ。なにせ、それでいて、まだ妖怪になり堕ちてはおらんのだからね〟

「何者だ?」と有田は辺りに首をねじった。。

――続く。

お面妖怪 3


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