グルメな方のお食事に彩りをそえるためのクイズ。豚肉居酒屋でお鍋をつつきながら日本史ガストロノミーなんていかがでしょうか。


前回の設問

平氏はなぜ政権を奪取することができたのか

の解答ページです

06年度 東京大学 

院政期における武士の進出について述べた次の1~5の文章を読んで、先の設問A・Bに答えよ。

  1. 院政期には荘園と公領が確定される動きが進み、大寺社は多くの荘園の所有を認められることとなった。
  2. 白川上皇は、「私の思い通りにならないものは、賀茂川の水と双六のさいころと比叡山の僧兵だけだ」と言ったと伝えられている。
  3. 慈円は、『愚管抄』の中で、「一一五六(保元元)年に鳥羽上皇が亡くなった後、日本国における乱逆ということがおこり、武者の世になった」と述べた。
  4. 平氏は、安芸の厳島神社を信仰し、何度も参詣した。また、一門の繁栄を祈願して、『平家納経』と呼ばれる豪華な装飾経を奉納した。
  5. 平清盛は、摂津の大輪田泊を修築し、外国船も入港できる港として整備した。
設問
  1. 中央政界で武士の力が必要とされた理由を、六〇字以内で述べよ。
  2. 平氏が権力を掌握する過程と、その経済的基盤について、一二〇字以内で述べよ。
解答
  1. 法によらず実力で争う社会となった院政期には、荘園と公領の確定や僧兵の鎮圧・公家社会の紛争解決に武士の力が必要となったから。
  2. 平氏は北面の武士として上皇に登用されたことを機に、娘を入内させ天皇家との外戚関係を築くことで、一族で官職を独占するなどの権力を掌握した。また、経済基盤として知行国や荘園を全国に保有したほか、瀬戸内海の航路を確保して日宋貿易で利益をあげた。
平清盛




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