水色の画用紙に、桜色の紙ふぶきが舞う大阪福島区にある、美味しい豚肉居酒屋の近所の公園。
桜の季節。
出会いと別れの季節です。
花見もいいけど、歓送迎会の予約、お待ちしておりまする。
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福島区(福島駅)にある豚肉居酒屋。安くて美味しい豚鍋と、串カツ・ホルモン・お好み焼きが人気。グルメなだけじゃない、面白い店といえばここ。 昼11時半より営業。昼からぶっ通しで飲めます。
水色の画用紙に、桜色の紙ふぶきが舞う大阪福島区にある、美味しい豚肉居酒屋の近所の公園。
桜の季節。
出会いと別れの季節です。
花見もいいけど、歓送迎会の予約、お待ちしておりまする。
花見のシーズン。
ガキの頃、花見といえば宴の一席を設ける口実の一つでしかありませんでした。して、宴の席を一つ用意したところで、一体自分と人との間に生まれる関わりの中に求めるべき何があるというのでしょうか。
学生の頃など、酒をかこんで馬鹿騒ぎをして一体何が楽しかったのかと考えてみると、一番大きな要素は自分を見て欲しい知って欲しいという欲求がどう充足されるのかという過程に含まれていた気がします。
他に考え得る限り、異性欲しさに集う、独りよがりに芸を披瀝したい、交流の場に便乗したビジネスの目的達成を目論む等の動機があげられると思いますが、これらも限度を超えないある部分までは健全だといえるのでしょう。
現在、私の仕事の内容と店の立地がら、会社宴会や職場の同僚の方々と一席を設けている上司と部下の姿をよく拝見するわけですが、この中にこういった場を設ける意義を明白に持って集っている人って、一体どういう人種のひとで、一体どういう思考でいるのだろうかと知りたくて仕方がありません。
そこで原点にたちかえってみる。
学生の頃、アルバイトしていた先の先輩のおっちゃんや近い年齢の年上の人から、バイト帰りに呑みにいこうだの食べにいこうだの、カラオケにいこうだのと誘われたとき、私の場合、誘われること自体がうれしく思っていた記憶があります。
誘われる→嬉しいの単純な感情の反応ですね。
嬉しい→楽しい→また集まりたい。
しかし、中には誘われても「行く意味って、あるのかな」なんて風に考える人もある割合で上下しながら常に存在しましたが、そこに言う「意味」ってのは、つまり「意義」のことなんでしょうけれども、私の場合、人に誘われて「意義」を探すこと自体に深い意味合いを感じなかったので、それが一体どういう心の習性なのかと不思議に思った記憶がまだ新しい。
今でもときどき思います。「この人、どうしてこんなにつまんなそうな顔をしているんだろう」と。
宴会がつまらない→つまらない顔をしている→他人に気をつかわせる→更につまらなくなる→早く帰りたい→場に水をさす→人の舌打ちを誘う→更につまらなくなる→自ら意義を失っていく。
悪いことばかりなのに。
中には誘われること自体にハラスメントを受けていると感じ、それがもはや被害の意識にまで到達している人もいるのですから、人種というのはほんとにまったく奇天烈な類別だとつねづね不思議に思います。
よほどこっぴどく人に騙された経験があるのかな~? と思いきや、話を聴いていると限りではそうでもなかったりするから余計に不思議。
今は立場がら常に「誘う」側におりますが、思い起こしてみれば私の場合、バイト先の仲間と一緒に、その店の店長や主任やら副主任やらを呑み誘ったりしてましたね。
むかつく店長や副主任もいましたが、お構いなしでした。むかつく相手なのに、なぜか誘ってましたね。あれを今分析してみると、歩み寄ろうとしていたというか、逆に手なづけようとしていたと表現すべきか。
どちらにしろ、言葉をかわしていくうちに最後には立場の壁を超え一個人として接した瞬間を感じたこともありました。そのとき、少しは自分のことを知ってもらえたかという感覚と、相手のことを少し知った感覚に火と風と水の理のようなものを発見したような気がし、肌があわだったことをまだよく覚えている。
同じぐらいの年齢の同僚に近藤君という人がおり、その人を中心にした会を銘打ち、職場の上司を誘うため、「公私近藤会」というのが二ヶ月か三ヶ月に1度ぐらいの頻度で行われました。造幣局の公務員50歳が不法労働をしにきていて、その人も近藤という苗字でetcっていう記憶が楽しく鮮明です。
ともかく、逐一人の中に私が存在し、私の中に人が存在していました。私の場合、人の中にどう存在しているのか、あまり気にしたことがありません。私は常に絶対不動の私でした。愛を求められたこもあり、好かれもしたし、忌み嫌われもした。一時期、自信のなかった頃もありはするものの、そんなときは人の中にいた自分をもう一度探すために人と会っていたような気がします。人の中に常に私はいました。
けれど、人は?
もしかすると、人の中にどうあればいいのか、よく分からない人も沢山いるような気がします。
人間関係が豊かになれば職場が楽しくなりますね。職場が楽しいと仕事が円滑に進みます。
そして店はよくなる。
大きな会社にも、きっと同じ原理があてはまるのでしょう。
これからも愉快な酒の場を提供し、そして更に愉快な場を構築できる手助けのできる店造りを目指していきたい所存です。
要は常に人にあるんだと思います。